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虎渓三笑TV 社長Blog

はじめまして!

虎渓三笑TVというYouTubeを運営しております、代表の岩本健志と申します。

大阪府出身
現在は名古屋に住んでいます。サラリーマン+会社経営者+YouTuberです。

虎渓三笑ってなんぞや?

そう思われる方が多いかと思いますので、少し説明します。

虎渓三笑とは?

虎渓三笑(こけいさんしょう)とは、中国の古い故事です。

ある物事に熱中するあまりに、他のことをすべて忘れしまうことの例えで使われます。

私はプロ野球、阪神タイガースを贔屓にしています。

幼いころ、友達のお父さんに甲子園球場へ連れて行ってもらった時のことを今でも覚えています。

ライトスタンドの入口へ通じる甲子園球場の21号門をくぐると、大きな歓声に、澄み切ったような青い空。そしてグリーンの芝生がこれでもかと、青々しい輝を放っていました。

確かゴールデンウイークのデイゲームだったと思います。

「こんなにキレイな世界があるのか」と心の中で、とてもテンションが上がり、そのまんま、現在に至っています。

45dream
甲子園球場は世界一の球場!

幼心に思った「日本経済の歪み」

私が子供のころ1989年12月29日、日経平均株価は3万8,915円と最高値を記録しました。

日本経済はバブルに踊りまくり、世の中には金が溢れ、当時の会社員は、いや日本人は「この世の春」を謳歌していました。

当時、小学生だった私は

「こんな景気のいい状態がいつまでも続くわけがない。」

と本気で思っていました。

ジャパン・アズ・ナンバーワンと言われたこの時期に、いったい誰がその後の日本の凋落を予想したでしょうか。

案の定、その後、バブルは崩壊し長い長い平成の不況へと突入していきます。

そして我が阪神タイガースも長い暗黒期に突入していったのも、この時期でした。

完全なる「バブルの崩壊」

そして私が大学を卒業し就職しようとしていた1999年の前後に世間は就職氷河期となります。

前年の1998年に山一証券や北海道拓殖銀行が倒産し、日本経済に大ダメージを与えたのでした。

大学でしっかりと勉強をせずにアルバイトに明け暮れていた私にも原因はあったのですが、就職活動は困難を極め、50社以上にエントリーをしても役員面接まで進めるのは僅かに2-3社程度。

就職活動の範囲を地元である大阪以外にも東京まで広げて、面接のため深夜バスで東京-大阪間を何度も往復しました。

この時期は、すっかり大好きだった阪神タイガースの応援にも足が遠のいていました。

とにかく、働き口を探さなければ・・・

その思いで就職活動のやり方もよくわからないまま、闇雲にいろんな会社を受けまくっていきました。

そして大学4年生の夏頃、かろうじて私は就職することができました。

しかし多くの同年代は、その後に非正規雇用として働かざるを得ない状況が続きました。

ちょうど就職して社会人1年目に阪神タイガースの監督に野村克也さんが三顧の礼で迎えられていました。

野村克也
1935-2020京都府出身 1999-2001阪神タイガース監督

6月頃に一時、首位に立ち、「新たな時代の幕開け」を少し感じることが出来たのを今でも覚えていますが、結果的には最下位に沈んだシーズンでした。

さらなる世界経済の混乱 未来予測は ほぼ不可能な時代に突入

時代は2000年を迎え、ITバブルに沸いては、またそのバブルが崩壊。

阪神タイガースも苦しい戦いが続いていました。

私は苦労して就職した会社にしがみつきました。

今と違い、ブラックな事なんか当たり前の環境。

それでもなんとか会社にしがみつきます。

なぜなら

「不況で就職先なんか他になかったから」です。

もちろん、新社会人なんで、スキルも資格も何もありません。

つまり、「何者でもない」単なるワーカーとして、日々をギリギリで過ごしていました。

ちょうどその頃、阪神タイガースは中日ドラゴンズから星野仙一氏を迎え入れ、チームを大胆に改革。

チームを18年ぶりのリーグ優勝へと導きます。

「これで新しい時代の波が来るのかな?」

阪神タイガースにも日本経済にも少し望みを持っていたのも、この頃です。

しかし、その後も2008年のリーマンショック、2011年の東日本大震災と一向に世の中が良くなる感触を掴むことはできませんでした。

私自身、何回か転職を繰り返し、先々の事を少しだけ考え出したのもこの期間です。

阪神タイガースは暗黒期は脱したけれども、2005年以降リーグ優勝から再び遠のくことになります。

ダメ押しの2020年

2020年以降、さらに厳しい状況に日本は、いや世界は晒されます。

新型ウイルスの蔓延・東京オリンピックの延期・ロシアのウクライナ侵攻・急激なガソリン価格の高騰・そして物価上昇に円安と、我々を取り巻く環境は悪くなれども、良くなることは一向にありません。

そして業績が落ちてきた中小企業はもとより、大企業も40歳代以上を対象に希望退職者を募るという名における「大リストラ」時代に突入しました。

就職氷河期と言われた世代に、安泰は、ない。

常に挑戦を強いられてきた就職氷河期世代である私たちは、立ち止まらないで、走り続けなければなりません。

YouTubeをスタート

「何かを始めなければ、このままでは いつまで経っても何も変わらない。」

そう思い、2019年にYouTubeを始めました。

このころ、阪神タイガースは矢野監督に代わり、チームに積極性を植え付けていきます。

しかし、球場は入場制限がかかり、「無観客試合」でシーズンが約2か月遅れて開幕するという事態もありました。

野球を題材にしたYouTubeを始めようとした私にとっても大変不利な状態でした。

なんにせよ、「ネタがない」状態でしたので、いろいろ試行錯誤しながら、テイストの違う動画をアップしてみたり、四苦八苦したのを覚えています。

しかし、各チームの新外国人の補強選手に関する動画をアップしたところ、当時はYouTube上では珍しいコンテンツだったのか、少しだけバズることができ、チャンネル登録者の方も一気に増加しました。

そして、初めてGoogleから認証を得てチャンネルを収益化するところまでたどり着きました。

「何者でもなかった」私がはじめて、何もない状態からマネタイズすることに成功したのです。

最後に

本当に最初は何もありませんでした。

会社員を続けながら、夜家に帰り、YouTubeの動画を撮影し、一人でPCに向かい編集を続けました。

事務所もスタッフも資本金も何もありません。

しかし、黙々と深夜に作業を続けました。

どの道、何もしなければ、この先スポットライトが当たることはない。

そう思って、来る日も来る日も再生してくれるかどうかもわからない、素人が作る動画を作成し、アップしていきました。

今でこそ、たくさんの方に見て頂けるまでになり、少しだけですが認知度も出てきましたが、本当にやり始めの時は暗闇の中を歩いていく感じでした。

現在はYouTuberとして、さらに法人設立を経て会社経営者として、まだまだ微力ながらも「何者でもなかった」ピヨピヨの新社会人が少しは「何者か」になれました。

ですので、私が今まで歩んできて得たスキルと「知識がゼロ」からのYouTubeで経験したことを少しでもこのブログで伝えていきたいと思います。

野球 / YouTube / 暗号資産 / ビジネス / 法律・経済 / 転職 / Webマーケティングからプログラミングまで雑記のようなブログになるかもしれませんが、これからの時代に必要な内容を書いていこうと思います。

先行き不透明な、こんな時代なので、

「このままではいけないのは理解している。何か始めようと思うが、何からしていいのかわからない。」

こういう気持ちの人がたくさんいると思います。

こんな先行き不透明な時代だからこそ、常に一歩前へ。

私たちと一緒に歩んでいけたらと思います。

この記事を書いた人

「45歳からのYouTuber」45dream Powered by kokeisansyo_tv

” がんちゃん “ 大阪府出身

上場企業管理職➡43歳からYouTuber

PC / 撮影 スキル 知識ゼロから3年半で登録者数 7,700名を達成!。

2022年に株式会社 虎渓三笑TVを設立。代表取締役兼CEO

サラリーマン+現役YouTuber+経営者の三足の草鞋を履く

  • 動画編集
  • SNSマーケ / Webマーケ
  • BLOG・ECサイトと幅広く業務を展開。

某CS放送にてCM出演の経歴あり。

スポーツ紙にECサイトの広告掲載をするなど、 メディア活用に強み。